1.経緯

 この申請に関わったのは、今から約10年前。私が脳梗塞で倒れ病院(脳専門)に運ばれてから二ヶ月後のことでした。突然、ご飯が胃に落ちていかない。確かにお通じもなく、でもいつもと感じが違う、経験したことがない感覚でした。少し下剤を処方してもらいましたが改善されませんでしたので消化器内科のある病院へ受診しました。

 初診では問診のみでしたが、症状自体が自分でも把握できておらず、なかなか伝わらない。ということで1週間後に超音波(エコー)検査と内視鏡検査を受けることになりました。1週間以上ろくに食べれず、さらに検査当日は2時間くらいかけて2リットルの液体(スポーツドリンクみたいな)をゆっくりと飲みます。体重は10kgぐらいは落ちたと思います。精神的にも最大限に落ち込んだ時でもありました。

 まずは超音波検査、下腹部に機械をあてスライドしていく。「ん~大腸に炎症がありますね」と画像を見ながら一言。画像を見て炎症があるってわかるんだ、やっぱり原因があるんだ、原因があること自体が判明するとほっとする自分がいました。

 超音波検査のあと大腸の内視鏡検査を実施、開始と同時に、初めて見る画像、白い斑点がビッシリ。唖然としました。病名は『潰瘍性大腸炎』。その道に詳しい先生を紹介していただき、再度受診、その結果、やはり『潰瘍性大腸炎』でした。ストレスや食生活によることが大きいと話されていました。脳梗塞のリハビリもあり、脳専門病院を退院してからその先生の病院へ入院することが決まり一安心。

2.原因

 過去を振り返るとすべてが当てはまります。

・細かいのに整理能力に欠ける、のめり込むとトコトン突き詰める、昼食を摂らず夢中になることが幾度もありました。仕事自体は非常にやりがいがあり楽しくて仕方なかった。自分の性格が無意識に体に負担をかけてしまった。

・外食とできあがり弁当を食す毎日、お酒を飲むと遅くまで。胃や腸にも多くの負担をかけてしまった。

・脳梗塞を発症し入院したことで、やりがいのある仕事を突然中断してしまった。

・長い期間仕事を休まなければならないことへの罪悪感と元の体に戻るのかという失望感がストレスとなってしまった。

これらのストレスが重なり、脳梗塞や潰瘍性大腸炎という大病を患ってしまった。

3.難病

 紹介していただいた病院に2週間程度ほど入院し、食事療法を実践したおかげで(脳専門病院でのおかゆとペースト状のおかずという療養食のおかげもあり)体調も徐々に回復、最終的に内視鏡検査で確認したところ、白い斑点はまったく見当たらなかった。そして先生から『潰瘍性大腸炎』が『難病』だと告げられました。完治ではなく寛解です、と。一時的に落ち着いている状態で、また再発するかもしれません、と。私の症状は幸いにも軽症とのことでしたので、今後もこの病気と付き合っていくんだな、と受け入れました。

 当時(平成24年)の難病情報センターのパンフレットに記載されている内容です。

 難治性疾患克服研究事業(臨床調査研究分野)は『症例が少なく原因不明で治療方法が未確立であり、かつ、生活面で長期にわたる支障のある難病疾患について、研究班を設置し、原因の究明、治療方法の確立に向けた研究を行うもの』当時は130疾患が対象でした。その130疾患のうち56疾患が特定疾患治療研究事業の対象となっていて、難病医療費支援制度という厚生労働省からの補助金が交付されていました。

 現在は法律(難病の患者に対する医療等に関する法律)も整備され、令和3年11月からは指定難病の医療費助成の対象疾病が338疾病となっています。

4.思ったこと、思うこと

 上記のように、先生から潰瘍性大腸炎は難病だよ、申請すれば補助があるよ、と知らされ申請することにしました。当時の私の家族は、実家で暮らす高齢な両親と遠方で勉学に励む一人娘。私は独身、社員アパートで一人暮らしでした。潰瘍性大腸炎が寛解したとしても脳梗塞の後遺症が濃厚に残っていて、でも後遺症を克服するためにも、また、自分でできるんだという自信を持つためにも自力で行いました。後遺症との戦い、こんな状況で一人で申請することがこんなにも大変なのか、こんなときサッと手助けしてくれる人がいたら楽なんだけどな~と。

 私のように一人暮らしだったり、家族がいても遠方にいたり、高齢で対応が難しかったり。また想像ですが、小さい子供がいて出かけられない、介護していて出かけられない、独身で仕事が忙しく対応できないなど、いろいろな状況があると思います。そんなとき手助けしてくれる人がいたら、一緒にサポートをお願いしたいと思われるのではないでしょうか。

 少しでもそんな方々のお悩みに応えていけたら、と思っております。